治水とは、水流をよくして河川の氾濫などを防ぎ、治水とは、水流をよくして河川の氾濫などを防ぎ、 運輸・灌漑の便をはかること。水の持つ危険性を制御運輸・灌漑の便をはかること。水の持つ危険性を制御 しようとする試みが治水であるが、一方で水を資源しようとする試みが治水であるが、一方で水を資源 として使用するための制御が利水である。一方で水を資源として使用するための制御が利水である。 古来、治水と利水は表裏一体となった概念として扱われてきた。古来、治水と利水は表裏一体となった概念として扱われてきた。 治水工事には、舟運を目的とした流路固定と水深維持のための低水工事と、治水工事には、舟運を目的とした流路固定と水深維持のための低水工事と、 河道から溢れることを防ぐ洪水対策としての高水工事の大きく2つがある。河道から溢れることを防ぐ洪水対策としての高水工事の大きく2つがある。

#2 Flood control×Tradition×Design

毎年のように発生する豪雨、世界的な気候変動による洪水リスク上昇。
従来の「川だけが頑張る」治水システムでは、私たちの暮らしを守るのが難しくなっている。
これからは、「まちと川が一緒に頑張る」治水システムへの転換が必要だ。
現代の治水技術と伝統的な治水技術、そして空間デザインを融合することで日本の風土にあった、洪水に強く、魅力的な地域づくりが実現できるのではないだろうか。

話し手

篠原 修

- 篠原 修

東京大学大学院工学系修士課程修了後、アーバンインダストリー、東京大学農学部林学科助手、建設省土木研究所、東京大学工学部教授、政策研究大学院大学教授などを歴任。工学博士。主な著書に『土木造形家百年の仕事』、『土木デザイン論』など。主な設計指導に、勝山橋、油津堀川運河、桑名住吉入江、津和野川、苫田ダム、日向市駅、旭川駅など。

宮本 博司

- 宮本 博司

京都市生まれ。京都大学大学院修士課程土木工学修了後建設省入省。苫田ダム工事事務所長、長良川河口堰建設所長、国土交通省河川局建設専門官、調整官、淀川河川事務所長、近畿地方整備局河川部長を経て、国土交通省防災課長を最後に、国土交通省退職。2007 年より淀川水系流域委員会委員長、2014 年水循環基本法フォローアップ委員、現在、株式会社樽徳商店代表取締役。

防災とは、災害を未然に防ぐために行われる取り組み。防災とは、災害を未然に防ぐために行われる取り組み。 災害を未然に防ぐ被害抑止のみを指す場合もあれば、災害を未然に防ぐ被害抑止のみを指す場合もあれば、 被害の拡大を防ぐ被害軽減や、被災からの復旧まで含める場合もある。被害の拡大を防ぐ被害軽減や、被災からの復旧まで含める場合もある。 災害の概念は広いので、自然災害のみならず、災害の概念は広いので、自然災害のみならず、 人為的災害への対応も含めることがある。人為的災害への対応も含めることがある。 類義語として、防災が被害抑止のみを指す場合に区別される減災、類義語として、防災が被害抑止のみを指す場合に区別される減災、 防災よりやや広い概念である危機管理、災害からの回復を指す復興などがある。防災よりやや広い概念である危機管理、災害からの回復を指す復興などがある。

#1 Disaster prevention
landscape theory

未曾有の災害に見舞われた平成の時代は、その災害を契機としたボランティア活動や社会貢献に対する世の中の機運が高まり、建築や土木といった都市やまちづくりに関わる多くの専門家も防災や復興について自分たちにできることを考え、実践を試みました。一方で、平成の時代はまちづくりや景観の黎明期でもありました。
2004年に公布された景観法から15年、次のステップアップに向けて根本を問い直す時期に差し掛かっています。根源的な問い、身近な問題意識を交換する場として篠原・内藤両代表を囲む連続車座会議を開催しました。

話し手

篠原 修

- 篠原 修

東京大学大学院工学系修士課程修了後、アーバンインダストリー、東京大学農学部林学科助手、建設省土木研究所、東京大学工学部教授、政策研究大学院大学教授などを歴任。工学博士。主な著書に『土木造形家百年の仕事』、『土木デザイン論』など。主な設計指導に、勝山橋、油津堀川運河、桑名住吉入江、津和野川、苫田ダム、日向市駅、旭川駅など。

内藤 廣

- 内藤 廣

早稲田大学大学院修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所、菊竹清訓建築設計事務所を経て、1981 年内藤廣建築設計事務所を設立。2001~11 年東京大学大学院教授、副学長を歴任。主な建築作品に、海の博物館、安曇野ちひろ美術館、牧野富太郎記念館、島根県芸術文化センター、日向市駅、虎屋京都店、旭川駅、静岡県草薙総合運動場体育館、富山県美術館など。3.11 以降、国、岩手県をはじめ、陸前高田市、大槌町、野田村等の復興に関わり、現在、高田松原国営追悼・祈念施設の設計に携わる。